1日の最後に読むのに丁度よい記事集

与えられた時間は平等?騙されている場合じゃない!

こんにちは、あるいは、こんばんは
世間の皆様は「時間」を大切に扱っているだろうか?
毎日、代わり映えしない平凡に日常を過ごし、
指をシャブッて目の前を通り過ぎていく「流しそうめん」のように時間を雑に扱ってはいないだろうか
あるいは、早く定時や放課後になることを祈って過ごしてはいないだろうか

今回は「時間」について焦点を当てた記事
人生を「あ」っと無価値に使い果たす前に、この機に一度じっくり考えてみてはいかがでしょうか

問題提議:与えられた時間は平等?

結論:「時間の進む早さは平等だが、与えられた時間は何一つ平等ではない

理由①:「時間の進む早さは決められている」
理由②:「寿命は人それぞれ異なる」
理由③:「時間の使い方や人物の価値によって時間の価値は変動するから」

具体例①「時間の進む早さは決められている」
先人たちの教えにより、時間の概念が決まり
時間の進む早さを教えてもらっているはずです(若干のズレはある)
これにより、誰もが時間を正しく認識することができるようになりました
1日が24時間、1年が365日であり、時間の進む早さに差はありません

具体例②「寿命は人それぞれ異なる」
人が使える時間には限りがあり、全ての人が平等に時間を与えられている訳ではありません
全ての人が80歳になった時点、強制的にログアウトするなら平等と言えますが、現実は違います
人の寿命は人それぞれで、若くして亡くなる方もいれば、3桁まで生きる方もいます
寿命が20年の人と80年の人では時間の希少価値が違うことがわかると思います

具体例③「時間の使い方や人物の価値によって時間の価値は変動する」
時間の使い方によって時間の価値は大きく変わります
時間の価値とは「時間を代償に得たモノの価値」で判断することができます
例えば「勉強で1時間を使用したことで、知識を得た」とします
1時間失った代わりに得た知識は人生を豊かにすることに繋がれば、価値があったと言えます
知識が「お金」や「大きな決断」「危険の回避」など他の価値に変えることができるからです

時間を代償に得たモノの価値」が大きければ、時間の価値は高くなり
時間を代償に得たモノの価値」が小さければ、時間の価値は少なくなります

考察:「与えられた時間は平等ではなく、自己の行動によって価値が変動する
学生の時や社会人の時に先生や先輩に「あらゆる資源の中で、時間だけは平等だから」と言われたことあります
この言葉にずっと懐疑的でした
時間が平等に与えられているはずなら、与えられている総量も同じでなければおかしい
けれど、現実では与えられている時間の総量は各個人バラバラ

それに各個人の価値の違いで同じ時間を過ごしても得られる価値は違う
1時間をバイトに使って時給800円の人と時給1500円の人がいるから、1時間あたりの価値が異なる

「時間は平等」という言葉の本質を履き違えてはならない
「時間は平等」とは時間の進む早さは同じという意味で、他は何一つ平等になっていないのだから

疑問:与えられた時間はあとどれだけ?

結論:「健康寿命70歳を前提にすれば、与えられた時間を割り出せる

私の場合、2022年で32歳なりますので、残された時間はあと「38年間」もあります
最新医療の発達により、健康寿命が伸びていくでしょうから
70歳になった時にロスタイムがあとどれだけになっているか楽しみはあります

疑問:平均寿命じゃなくて健康寿命?

結論:「時間を自分の意志で使うためには健康寿命で考える必要がある

健康寿命とは「他人の手を借りずに自立した生活ができる年齢限界」のこと
厚生労働省2016年の調査で、日本の健康寿命は男性が 72.14 歳、女性が 74.79 歳

多くの人が知っている「平均寿命」とは生命活動ができずに絶命してしまう平均年齢のことで
男性 80.98 歳、女性 87.14 歳とのことです

病を患ったり、怪我で動けなくなった時点で自分の意志で行動することができなくなります
そのため、「行動の自由」という権限が行使できる期間の「健康寿命」が与えられた残りの時間だと考えました

生きているはいるけれど、何一つ自分の意志で行動ができず、
人のお世話にならなければ、まともな生活を送ることができない状態では
時間の価値を算出することもできないと考えます

疑問:時間の価値はどうやって決まるのか?

結論:「時間の価値を”投資”,”消費”,”浪費”,”空費”で整理すると価値を決められる

「Time is Money」というように、時間とお金は密接に関わっています
「どのような行動がどのような価値を生み出すのか?」を考えると
「行動」が「価値」に変わると判断することができます

では価値をどのように決めれば良いのか?
お金の使い方(支出)は4つの分類で分けられているため、
価値を決めるために利用することができます

支出の分類は以下の4つです

投資:リターンが見込まれる費用
消費:日常生活を送るために欠かせない費用
浪費:必要以上の贅沢などの無駄な費用
空費:何のリターンも得られない虚しい費用

わかりやすく具体例を出します

投資とは
初期と中盤に費用をかけることで費用以上の見返りを求めた支出のこと
→資産を増やすための株式投資や不動産投資
→スキルアップのためのセミナー費や書籍費
→組織存続と発展のための人員育成や新人起用

消費とは
最低限生活するために必要な支出のこと
→餓えや衛生面を守るための食費、水道光熱費
→雨風を凌ぎ自然環境の脅威から身を守るための家賃や土地代
→効率よく安全に長距離を移動するための交通通信費

浪費とは
生命活動には不要だが、人生を豊かにするための支出のこと
→嗜好を満たすため「たばこ、お酒、高級な食事、趣味など」
→性欲や食欲など過剰な欲求を抑えるため「風俗やキャバクラ、お菓子、大食いなど」
→一時の快楽のため「ウィンドウショッピングやギャンブルなど」

空費とは
目標を達成できずに頓挫した無駄な支出のこと
→全然興味のない資格取得に向けてセミナーの参加、参考資料で勉強をするが、
資格は取得できず、学んだ知識が何の役にも立たない時
→誰一人住んでいないマンション経営での管理費
→ストレス緩和のためでもなく、ストレスを貯めて悩んで購入した買い物を1度も使わなかった時

上記を価値基準を行動に分類分けすると下記のようになります
■行動の4分類
時間の投資:リターンが見込まれる行動
時間の消費:日常生活を送るために欠かせない行動
時間の浪費:必要以上の贅沢など無駄な行動
時間の空費:何のリターンも得られない虚しい行動

これで、各行動の価値を決めることができるようになりました
ここで注意すべきなのは同じジャンルの行動でも投資にも消費にも浪費にも空費にも成りうる点です

例えば、「睡眠」は生命維持のために必要な行動であるため
時間の消費」に該当しますが、必要以上に睡眠を取る行動は惰眠と称され
時間の浪費」に該当することになります
さらに、適切な睡眠を取ることで脳機能や細胞組織の回復を促進することができるために
睡眠を上手に活用すれば、「時間の投資」に該当させることもできます

私たちの行動は
時間の投資」「時間の消費」「時間の浪費」「時間の空費」のどれにでもなることができる言えます

客観的要約

■「時間は全然平等じゃない
→言葉の魔力に騙されるとバカを見ることになる
例えば「顔は人、身体が犬という獣人がいたとして、身体は犬だから犬!」
上記のように本質が見えていないとおかしな判断をしてしまう
平等という言葉が「マジョリティ」をイメージさせるように、容易に惑わされてはならない

■「時間を蔑ろにし過ぎているかもでしれない
→私たちは時間を甘くみている
時間を大切に使うという意識が徐々に薄れて慣れてしまうのが原因
時間の価値を最大化させる行動を心掛ける必要がありそう

■「支出の分類は4つじゃ足りない気がする
→例えば「浪費」は無駄に費やすことを指す言葉で
支出の浪費は「もったいない」「無駄」と叩かれやすい
しかし、浪費をすることでストレス解消をしたり、幸福感を得たりと
個人の価値観によって必要な出費だと思う

浪費の本質が見えていないと洗脳されたように
「浪費は悪いこと」と認識してしまうことになる

浪費の良い面・悪い面、投資の良い面・悪い面とあと4つは必要なるのでは?と思っている

■「平均寿命まで生きる価値はあるのか?
→最新医療で細胞を若返させたり、拒絶反応なしのGalSafe豚で臓器移植できるようになったりで
これからの未来、私たちの平均寿命はもっともっと伸びることが確定している
だからこそ、命の価値や命の見切りを考えておく必要があると考えている

高齢者が増えて得することが現状無い
延命させることで労働力として経済を回すなど
世界を潤す力になるなら良いが、恐らく望み薄だろう

病に侵され、苦痛を伴って見苦しい姿を晒し、
認知することもできない家族と面会することに果たして生きる価値はあるのだろうか?
誰も幸福にならない状態に陥ったなら、延命措置はエゴでしかないと思う

■「自分の時間の使い方を改めてみる良い機会かも
→自分の時間は自分で決めれば良いし、本来なら誰に従う必要もない
しかし、多くの人は会社や社会のルールに縛られ、時間を決められてしまっている

一体どれだけの時間を無駄に使っているのか?
一体どれだけの時間を有意義に使っているのか?
今一度、現在の自分の生き方を問う良い機会だと感じる

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