私は歯車
私は「歯車」
みんなに囲まれて毎日働く
やることはいつもと変わらない
いつもの時間に
いつもの場所で
いつもの方法で
何かを動かす
働いて、働いて、ハタライテ
誰かのために、何かのために…
変わらない日を繰り返す
そして、壊れたなら交換する
要らない部位は破棄をする
これが私の常識であり普遍的なこと
いつの世の中でも起きている
また…一つの歯車が欠けた
要らないから捨てる
空白になったポジションは別の歯車を補充すれば良いだけ…
繰り返し
繰り返し…
繰り返し……
また同じ毎日が来る
私は賢いから知っている
明日も明後日も変わらない毎日が訪れる
隕石や地震のような天変地異なんて滅多に起きない
異世界転生や不思議な能力に目覚めるなんてことはない
ある日を境に世界が変わる…なんてこともない
ただ、ただ、
長い時間、同じことを繰り返しているだけだ
滅んでは栄えて、成長しては衰退して
壊れたら破棄して、破棄したら補充して
私たちは大小の円の中を永遠と回っている
輪廻転生?
円環の理?
死に戻り?
よくは知らないが同じことを繰り返しているんじゃないのか?
毎日の普通を保って
普通の幸せを享受して
普通の苦しみを味わって
普通に生きて、普通に亡くなっていく
そんな生涯をみんな望んでいるのだろう
さぁ、今日も眠りに付いたら、また明日が始まる
きっと代り映えのしない一日だ
……
…
ふと疑問に思った…
なぜ、私たちは働いているのだろう?
なぜ、私たちは使い捨てなのだろう?
なぜ、私たちは常識を疑わないのだろう?
いつまで続けるのだろうか
この囚われたような生活に
どれだけ繰り返せば良いのだろうか?
私は歯車として生きてきた
小さい頃から従順だった
相手の顔色を窺って従ってきた
相手の言葉を鵜呑みにしてきた
相手が好きでも嫌いでもとにかく問題を起こさないように接してきた
だが
私はいつから歯車になっていたのだろうか?
私は一体何者だったのだろうか?
もう遠い記憶で忘れてしまった
私は再び私を思い出すことができるのか?
疑問をぶつける度に怖くなった
私の歯車としての価値は揺らいでいくのがわかる
徐々に、歪んで、狂って、捻じ曲がって
一度疑問が出たら止まらなかった
私はこれから歯車としては生きていけないだろう
自我を持った歯車は従順ではなくなるから
反抗やストライキを起こす可能性がある
私は歯車として狂ってしまった
違う捉え方をすれば、
「世の洗脳から解けた」と言えるかもしれない
私は社会不適合者だと罵られた
「歯車として生きていけないなら必要ない」とのことだ
昔ならショックでしがみ付いていただろうが、不思議と落ち着いている
当然だ!
私は狂ってなどいない
狂っているのは私が生きている社会や常識そのものだからだ
多数は少数を圧倒する力がある
私には特殊な力はない
しかし、元歯車として違う分野で輝くことはできるはずだ
ぐるぐる
回り続けるネズミのように
同じ場所で同じように飼われることを卒業しよう
私は歯車
次へ時を動かそう
『私は歯車』
Sweet Dreams!「よい夢を」
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