私は本
私は「本」
知識の貯蔵庫
文字の塊魂
知恵の滝つぼ
発想の結晶体
言葉の視認化
図書館の住人
どのように呼んでもらっても構わない
…誰も呼んだことが無い?
そんな、まさか!私は辞書でもあるんだ
私の辞書に載っていな…いな…
これはお恥ずかしいところをお見せしました
穴があったら埋もれたいところ
さて本題に入ろう
本とは何のために存在するのかご存じだろうか?
本とは知識や知恵を多くの人に共有するために生まれてきた
知識や知恵を得ることで人々は生活をより豊かにすることができる
これは既に幾世紀も経て証明されている
しかし、私には解せぬことがある
何故か、人々は「蓄えた知識や知恵を実践しない」
いや、「実践できていない」者が多く感じる
戦国の世や戦争が続いた時代に比べて、
学びやすい環境が整っているにも関わらずだ
知恵や知識は実践しなければ、何の意味も価値もない
恐らく、教育が良くないのだろう
学校という学び舎では実践するための教育ではなく
『受験』のための教育をすると聞く
国語の「漢文・古文」
数学の「微分積分」
歴史の「大塩平八郎の乱」
理科の「化学式」
英語の「repe atafter me」
これは、人々が生活を豊かにするために必要な学びなのか?
確かに、知らないよりは知っている方が良い
知識を新たに活かせるかどうかは知ってみなければわからないからな
だが、直接的に人の賢さに繋がる知識とは言い難い
今の学び舎は学び活かす勉学ではなく、学び証明する勉学になっている
日本という勤勉な国は戦争以降変わってしまったようだ
本来あるべき「学問」という形が崩れかけている
さらに、知識を使うのではなく、ひけらかすような輩もいると聞く
本としては悲しく感じる
涙で紙が滲んでしまうよ
私に善悪の違いは区別できない
それは、人間が定めた法であるだけで、私が決めたものではない
本を正義のために使うも良し、悪意のために使うも良し
知識を生かすも殺すも使い手次第である
私たちを上手く活用して、新たな時代と歴史を刻んでほしい
私たちを今後も増やして、面白い記録と知識を残してくれ
最後に歴史に名を残した人物の言葉を借りて、再度「知識」について伝えよう
「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり。」
–意訳–
わからなかった、知らなかったというのは罪であり、
知識だけあって、行動しないのは空しいこと
知識があって、行動するものだけが優れた者だ
『私は本』
Sweet Dreams!「よい夢を」
エッセイについてはコチラを確認してください
エッセイとは エッセイとは特定の文学的形式を持たず、書き手の随想(思ったこと・感じたこと・考えたこと)を思うがままに書き記した文章のことである らしいです つまるところ、「自由に考えたこと自由に書いていくもの」です 凝り固まった[…]