私は天才
私は天才
孤独な変人
社会不適合者
全集中モンスター
創造と想像をこよなく愛する空想家
実は私自身天才だとは思っていない
知人や周囲がそう思って言っているだけだ
私が天才だとわかりやすく、言われ始めたのは29歳の時からだ
心理士になったばかりの大学の友人が練習のため「試しにIQを調べさせてほしい」と言ってきた
結果はIQ150
私以上に友人が唖然としていたのをよく覚えている
それまでの私は凡人でも秀才でもなく…、馬鹿か変人だと思っていた
だってそうだろ…
周囲からは不思議な考え方・行動する奴だと言われ続けていたからだ
「自分は自分」と暗示をかけるように反芻しても、
他人からの評価を何度も直接的に受けると周囲とは違う存在なのかと感じるようになる
“天才とは人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す
極めて独自性の業績を示した人物を評価したり、
年若いのに、あまりに高い才能を示した人への賛辞的形容に使われる
それが、歴史や社会に影響を残すに至ったレベルの人物を指すことが多い”
IQが高いから天才だと言うのは早計に感じる
なぜそう感じるのかを説明してみよう
天才の人口割合は約2%
2%というのはIQ130以上の人口割合らしい
ソーシャルゲームならSRといったレア度かな?
日本では約252万人おり、50人に1人が天才となる
日本で約252万人も天才が存在するなら、さほど珍しく感じないはずだ
私が天才だと言うなら、世の中が天才と定義する中では底辺の天才と言えるだろう
IQだけが、天才を推し量る指標ではないが、面白いことがわかった
IQは20以上差があると会話が成り立たなくなるらしい
平均IQは100前後なので、多くの人と話をしても会話に違和感を感じたのはこれが原因だろう
会話中に私の中で既に結論が出てていて、いくつか先の想定や予想をしている時には
まだ結論の序盤から抜け出ていない周囲と話すのに疲れてしまっていたのもこれだろう
しかし、私が天才だと言われて意外にも腑に落ちる点はいくつかあるように思う
・大学から始めたヨット競技を4年間でオリンピック選手と同等の実力に至ったこと
・世の中に無いなら作ってしまえと既存の仕組みを分解して作り上げていたこと
・夕方から集中して作業していたら、いつの間にか夜が明けていたこと
・仕事で一流大学卒のエリートから「キミの着眼点と独創性は常軌を逸している!」と評価されたこと
・そのエリートから「でも社会人としては三流以下!新社会人よりも酷い!」と卑下されたこと
これらは天才である証拠となるかと言うと難しいが、天才である特徴だと説明ができる
天才に関する論文をいくつか漁り、偉大な天才達の生い立ちや共通点を調べたことがある
歴史に名を刻む天才の多くは素晴らしい才覚を発揮する一方でかなりポンコツだと言えそうだ
一般の人が簡単にできることができないというか難しい
代わりに、普通の人ができないことができたりする
“天才”というと聞こえはイイが、能力に偏りがあるため、
価値を認めてもらえないと周囲からは”ポンコツ”や”使えない奴”というレッテルを張られる
実際、私も7年間社会人をしたが、どうにも不出来だった
社会人になってから、世間の常識にいつも難儀していた
周囲が普通にできることが中々上手くできない
服装、敬語、電話、メール・手紙、時間厳守、報告・連絡・相談、コミュニケーション、整理整頓
どれもハッキリ言ってかなり苦手だ
できないと「こんなこともできないのか!」と怒られ
完璧にすると「堅苦しいからもう少し柔軟にしなさい!」と注意され
常識に合わせて自分を殺せば、「個性が無い!」と罵られ
常識に捕らわれない自由な自分を表に出せば、「変な人!」と弄られる
周囲の言う”常識”はあまりに曖昧で、
中途半端で、抽象的で、不明瞭で、75点を求めていることに気付いた
私にはそれが難しくてならなかった
頑張って世の中の常識に合わせようと学び工夫し、真似し、再現した
結果、少しマシになったが新卒の社員に負けるくらいに常識的な社会性を表現できなかった
「着眼点や独創性に優れていること」
「過集中による高いパフォーマンス」
「0→1を創造すること」
これらは天才と呼ばれる人たちが授かったギフトだ
単純に地頭が良く、高学歴で、IQが高いというのは天才と言えないと私は思う
“天才”と聞くと何でもできる超人のように捉える人は実に多い
しかし、実際は違う
天才の多くは孤独であり、毎日多くの悩みに苛まれている
素晴らしい才覚を持っていても、何度も”死”を考えてしまうほどに追い詰められている
理由はいくつかある
・自分の悩みを聞いてくれる相手がいない…、いや…理解できないが正しいかな
・精神病を患っており、多くの劣等感を抱いている
・周囲の関心がないものに興味があり、共感できる相手がいない
・頭の回転が早く、人との会話に疲れてしまい人嫌いになっている
周囲と同調することが苦手なのも、周囲と能力が異なるため、認識の齟齬が発生してしまっていることが多い
一般論では
好きの反対は嫌いではなく”無関心”と言われている
天才が好きなものに一般の人は無関心で、一般の人が好きなものに天才は無関心なのだ
どうやったら、同調できると言うのだ…
そう言えば、私は天才と呼ばれているが、学業が得意ではない
ド底辺高校に通い、Fランク大学を卒業している
いや、今思えば学業は得意だったのかもしれない
理数は小学校の頃に中学のレベルが理解できるほどには得意だった
しかし、勉学に対して意味は見い出せなかった
何のために学び、何に活かすのかを理解できなかった
誰に聞いても「良い大学に入るため」、「良い企業に入るため」とロボットのように同じ問答しか返ってこなかった
勉強の意味を見出せたのは大学に行き、ある准教授に出会って初めて理解ができた
天才は幼少の頃から天才なのか?
答えは「YES」だと思う
しかし、天才であることを周囲が認めることができるかは別問題なのだ
例えば、私の幼少期
幼い頃は周囲に疑問をマシンガンのように投げつける子だった
なぜ太陽は明るいのか?
なぜ空は暗くなるのか?
どうして人は嘘を付くのか?
どうして喧嘩や争いが絶えないの?
1+1=どうして「2」になのか?
どうして空を飛べないのか?
なぜ動物とは喋れないのか?
なぜ心は見えないのか?
なぜ神様は助けてくれないのか?
私は世の中が不思議でならなかった
私は疑問を聞いて回った
父は厳格な人で怖くて答えを聞くことはできなかった
母は優しい人で「なぜだろうね」と疑問を疑問に感じてくれなかった
兄は頼れる人で「そんなことはいいから俺に付いて来い!」と興味を持ってくれなかった
学校の先生は大らかな人で「難しいことは考えずに皆と遊んでおいで」と回答を先送りにされた
友人は「意味わからん!変なこと言ってる変な奴って言われるよ?」と私を気遣ってくれた
それからは、疑問を持つことを一旦止めにした
周囲に馴染めない自分が苦しくて怖く感じたからだ
年齢を重ね、見聞を広める度に多くの疑問がマグマのように溢れ出た
誰も教えてくれなければ、自分で調べればイイ
誰も試さないなら、自分が試せばイイ
誰もやらないなら、自分でやればイイ
誰も疑問に思わないなら、自分が疑問を持てばイイ
そうやって日々、疑問を調べていく内に、私は天才としての才覚が相手にもわかるようになったのかと思う
ギフテッドを授かり、幼い頃から才能を開花できる人もいるがそうでない人もいる
私のように…
日本では特に洗脳のような教育が蔓延っている
幼少期に天才として開花するのは難しいかもしれない
光り輝く長所は不気味だと隠蔽されてしまい
周囲より多くの短所は克服できるように日本では教育される
運よく、理解のある親や先生が周囲にいるなら
天才として才能を開花できるかもしれない
しかし、それが幸運かはわからない
周囲が「天才」というプレッシャーを押し付けてきたり、
奇異な目でみたり、嫉妬されたり、嫌がらせされるかもしれない
天才が社会で生きていくのに大変苦労しているということが少しだけわかって頂けたかもしれない
しかし、これは氷山の一角なのだ
世間の実際の評価はもっと切実で厳しいものだ
実際、天才の人の評価は具体的にこうだ
「先生を困らせる子」「質問ばかりの子」「本ばかり読んでる子」
「詰めが甘い」「一般常識に欠けている」「変な考え方」
「普通のことができない」「協調性がない」「集団行動ができない」
「話しが早くて聞き取れない」「何事もマイペース」「部屋も机も汚い」
「整理整頓が下手」「熱しやすく冷めやすい」「馬鹿なことを平然とする」
「秀才からは妬まれる」「会話にならない」「誰も覚えていないことを覚えている」
「些細な音に過敏過ぎる」「スグに忘れる」「遅刻が多い」「服がいつも同じ」
「行動が意味不明」「一人でブツブツ喋っている」「一つのことを深夜まで延々としている」
「飽き性」「生活が不規則」「頭の回転は早いが説明が下手」
これらは天才である証拠と言える特徴を並べたものだ
天才は精神的な障害を抱えていることが多い
被害妄想が強かったり、強い欝症状があったりで、ドラッグや酒に溺れる者もいる
天才は圧倒的な少数派に属している
しかし、社会は多数派を支持するようにできている
これは才能への嫉妬や立場の保守など多数派を擁護するために仕組まれているからだ
多数派に認めてもらわなければ、少数派は土俵に立つことも許されない
この一見不利な特徴を圧倒的に上回る成果や結果を出さなければ、
天才として世間からは認めてもらえない
これを世知辛いと言わず、何と言えるだろうか…
並外れた身体能力や高い知能、優れた想像力、豊かな表現力、圧倒的な行動力
これらを備えていても、適合する活躍できる環境がなければ宝の持ち腐れなのだ
あなたは
世界を驚かせるような創造やできそうもないイメージを実現できる力を手にする代わりに、
毎日、劣等感や”死“を近くに感じ続ける天才になりたいと思うかい?
『私は天才』
Sweet Dreams!「よい夢を」
このエッセイを読んでいる人へ
天才の使命は「世界を前進させる」こと
秀才の使命は「世界の仕組みを作る」こと
凡人の使命は「世界を存続させる」こと
天才にできないことは秀才と凡人にはできる
秀才と凡人にできないことは天才ができる
ここに一体、なんの違いがあるだろうか?
人によって、事象の難易度は異なるのは当たり前ではないか
天才がなんでもできる訳ではない
いや、なんでもできる天才だっている
しかし、全ての天才ができる訳ではない
凡人でも秀才でも、何でもできる器用な人と何にもできない不器用な人だっているのと同じだ
多くの天才はとても困っている
周囲に天才がいるなら、わからないなりに話を聞いてやってほしい
本当は話したいけど、話せない天才がとても多いのだ
彼らは諸君が思ってもみないことに悩んでいる
興味を持って聞いてあげて、天才を救ってほしい
天才は自分を救う術しか知らず、他人から救われることに慣れていない
良き相談相手になって、彼らのポテンシャルを発揮できれば、回りまわって返ってくる
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エッセイとは エッセイとは特定の文学的形式を持たず、書き手の随想(思ったこと・感じたこと・考えたこと)を思うがままに書き記した文章のことである らしいです つまるところ、「自由に考えたこと自由に書いていくもの」です 凝り固まった[…]